ひつまぶしの誕生は出前にあった!?
器にお櫃を使う
ひつまぶしは器にどんぶりではなくお櫃(ひつ)を使います。お櫃とは陶器ではなく木で作られた器です。その理由は陶器ではちょっと都合が悪いことがあったからです。この地域では昔からうなぎは親しまれていたので出前も多かったらしいのですが、出前でお客さんに届ける時に割れやすく重たい器は扱いにくいのです。そこで割れにくい木のお櫃を使うようになったとの説です。これが直接ひつまぶしの誕生に繋がったわけではありませんが、この時代の鰻文化として後のひつまぶし発祥に関わったということは想像できます。ひつまびし(櫃まぶし)という名前からしても、器にお櫃を使うというのが正統派のひつまぶしといえるでしょう。うな丼といえば丼、ひつまぶしといえばお櫃、同じ鰻料理でも器からして全く別の存在なのです。
鰻をまぶす
鰻を細かく切ってご飯の上にまぶすのがひつまぶしですが、この形になったのは一人前の注文ではなく団体のお客様に出しても分け合って食べやすいようにと、全員に鰻がいきわたるようにとの配慮で生まれました。例えば4人分の注文ならお櫃に4人前のご飯を敷いて、その上に4人前の刻んだ鰻をまぶして出し、あとはお客さん同士で盛り分けて召しあがってください、というわけです。現在のひつまぶしは1人前ずつの提供ですしこの話がそのままひつまぶしの誕生に繋がるわけではありませんが、4杯に分けて食すにはうな重にみられる蒲焼の状態ではなく、細かくした鰻の方が適しているという流れの中でこの案が取り入れられたのは間違いないでしょう。そしてお茶漬けにしてサクサク食べれるよう、鰻を柔らかくするためにもこのほうが都合よかったのでしょう。取り分けやすいよう、鰻を切ってまぶすのがひつまぶしの特徴のひとつなのです。
従業員の賄い
鰻の蒲焼を用いた名古屋グルメとしても有名なのひつまぶしですが、実は当初賄いとして作られたという説もあります。鰻の蒲焼を細かく刻みご飯に混ぜて食べるというのがひつまぶしですが、この方法は明治初期に名古屋で始まったとする説はほぼ間違いないでしょう。そしてなぜわざわざ細かく刻むのかという理由ですが、天然鰻は質が一定でなくバラつきがあり、小さい鰻は硬くて商品として出せないものもあるのです。お客様に出せないからといって捨てるのはもったいない、ならば細かくしてご飯に混ぜ、従業員に賄いとして出そう、となったそうです。硬い鰻だけでなく、飲食店ですので古くなったり痛んだ鰻もあったでしょう。もちろんそのまま今のひつまぶしとして完成したわけではないでしょうが、現在の形の前段階、あるいはさらにその前の段階でこれがヒントになっていたのではないかと考えられます。お客さんに残さずサクサク食べてもらうにはどうすればいいか、食べやすいように鰻を細かく切ってご飯に混ぜてみよう、もっと食べやすいようにお茶漬けにしてみよう、なら薬味とお茶にも工夫を、と発展してきたのでしょう。